占い師の開運ブログ
- スピリチュアル編
その夜の休憩室は、いつもより少しだけ「ぽっかり」していた。
ついこのあいだまで、ソード6の渡し舟が何度も出入りして、
川を渡る決心をした心たちでいっぱいだった。
今は、舟を降りていった人たちの気配だけが、
まだ温度の残る湯気みたいに、部屋の隅々に漂っている。
塔は雷仕事のあと、ソファに深く沈み込み、
ソード3は新しい包帯の端を指先で整えている。
隅のテーブルでは、隠者のランプが、相変わらず静かに揺れていた。
星は窓辺で、遠くの水面を眺めている。
さっきまで、ソード6が舟の模型を使って、
「決めたあとの区間」の話をしていたところだ。
誰もが、その話の余韻に、少しだけ浸っている。
──そのとき。
入口のほうから、ふわりと黄色いリボンのような光がのびてきた。
「……あ、来た。」
星が小さく笑う。
休憩室の真ん中に、いつの間にか小さなアーチが立っていた。
四本のワンドが、簡素な門のように組まれ、
その上には、小さな花飾りがひとつだけ揺れている。
ワンド4だ。
「今夜は、ここを“玄関先”にしてもいいかな。」
ワンド4が、少し照れたように言う。
「向こう岸に着いたばかりの人たちのために、
ちょっとだけ、靴を脱ぐ場所を作っておきたくて。」
愚者が、リュックを抱えたまま顔を出す。
「ねぇ、その門くぐったらさ、
全部うまくいってる“ハッピーエンドの家”に着くの?」
ワンド4は、首を横に振った。
「そんな便利な門じゃないよ。」
アーチの足元には、段ボールのような箱が3つほど積まれている。
ひとつには「まだ開けていない感情」と書かれたラベル。
ひとつには「これからの暮らしを支えていけるだろうか、という心配ごと」。
もうひとつには「本当にこれで良かったのかな、というため息」。
「ほらね。」
ワンド4は、箱を指さした。
「向こう岸に着いたからって、
急に全部片づいて、“ハイ、幸せ!”ってなるわけじゃない。」
愚者は、少し気まずそうに笑う。
「そうなんだよね……。
ボクもさ、何回か新しい場所に着いたけど、
最初の夜って、だいたい床に座ってぼーっとしてたもん。」
隠者が、ランプを持ってアーチのそばまでやって来る。
「“渡る前の不安”は、よくここに来ていましたが。」
星もうなずいた。
「“渡ったあとの落ち着かなさ”は、
あまり言葉にされないまま、夜に紛れてしまいがちですね。」
ワンド4は、アーチの内側をそっと撫でた。
「だから、ぼくの仕事はね——
“ここに着いた”っていう事実だけを、
いちど小さく祝うことなんだ。」
隠者が、興味深そうにたずねる。
「祝う、とは?」
ワンド4は、少し考えてから答えた。
「大げさなパーティーじゃなくていいんだ。
部屋のどこか一角に、
『ここが、これからの私の居場所になるんだな』って
自分で思える場所を、ほんの少しだけ作ること。」
アーチの奥に、小さなテーブルが見える。
まだカーテンもかかっていない窓。
隅には、山積みの段ボール。
その真ん中に、湯気の立つマグカップがひとつ。
「たとえば、
引っ越し当日の夜、段ボールだらけの部屋で、
床に直に座って飲む一杯のお茶。」
ワンド4の声は、柔らかかった。
「たとえば、
長年いた職場から離れたあと、
初めて“何も予定を書き込まないカレンダー”を、
壁にかける瞬間。」
死神が、クロークのほうから静かに付け加える。
「たとえば——
終わらせたはずの親子関係やパートナーシップから少し離れた夜、
“もう二度と同じ形には戻らない”ことを受け入れながら、
それでも新しい布団を敷いて眠ること。」
ワンド4は、うなずいた。
「そういう小さな瞬間を、
“何でもないこと”として通り過ぎさせないで、
“ここまで来た自分へのささやかな通過儀礼”にしてあげたいんだ。」
星が、アーチの下に立ってみる。
「じゃあ、この門は——
“ここから先、ずっと幸せでいなさい”っていう命令じゃなくて、」
ワンド4が続ける。
「“ここまで、よく辿りついたね”って
静かに拍手を送る場所。
それだけの門だよ。」
愚者が、リュックの紐をぎゅっと握る。
「ねぇ、門をくぐるときってさ、
ちゃんと笑ってないとダメ?」
ワンド4は、首を横に振った。
「泣きながらくぐってもいい。
無表情のまま、通り過ぎてもいい。
大事なのは、
“前の岸には、もう戻らない”って身体ごと決めた自分が、
この門を一度は通った、ってことだけ。」
隠者のランプが、少しだけ明るくなった。
「ソード6の舟を降りたあと、
最初にくぐる門が、あなたなんですね。」
ソード6も、テーブルの向こうから頷く。
「そう。
ぼくの仕事が終わるのは、
向こう岸に着いて、“最初の一歩”を踏み出したとき。
その一歩を、
『ここを、私の場所にする』って決める門が、ワンド4。」
ワンド4は、アーチの下に小さなマットを敷いた。
そこには、手書きの文字がある。
「おかえり」と「はじめまして」が、
同じ行に並んでいた。
⸻
人間たちの世界では今日も、
どこかで新しい部屋の床に座り込んでいる人がいる。
「こんなに散らかったままで、大丈夫かな。」
「まだ全然、“幸せ”って感じじゃない。」
そう思いながら、
それでも鍵を回してドアを開けた場所で、
今夜をやり過ごそうとしている心。
もし今、
“決めて渡ってしまったあとの、最初の数日”にいる人がいたら——
その人はもしかしたら、
ワンド4の小さなアーチの前で、
まだ靴を脱ぐタイミングを迷っているところなのかもしれません。
タロットのワンド4は、
「完璧な幸せの保証書」ではなくて、
「ここまで辿りついた自分を、
いちど小さく歓迎してあげる玄関先」を、そっと描いているのかもしれません。
今日もどこかで、
段ボールだらけの部屋で飲む一杯のお茶や、
静かに掛けられた新しいカレンダーが、
「ここから、もう一度やっていこうか」と
胸のどこかに灯りをともしてくれますように。
ソード6の舟を降りてから、
まだ落ち着ききらない数日を過ごしているあなたの夜にも——
ワンド4の小さな門が、
静かに開いていますように。
菜々



