占い師の開運ブログ
- スピリチュアル編
その夜の休憩室には、
これまでの章とは少しちがう、
やわらかく、あたたかい明るさが満ちていた。
隠者のランプの灯りは、
傷を照らすためのものというより、
朝が来る前の台所にともる小さな電気みたいに、
静かに、でもたしかにそこにあった。
星のカードが、
窓辺でそっと言う。
「今夜の話は、
失ったものがそのまま戻る話じゃないんだね。」
ランプが小さくうなずいた。
「ええ。
これは、別の呼び名で、もう一度やってくる話です。」
⸺
息子は、月の揺らぎの中から、自分の人生のほうへ歩き出していった。
母を振り返らず、若さの勢いも不器用さも抱えたまま、それでも自分の足で。
そのことは、菜々にとっては痛みだった。
塔みたいに、それまでの足場が崩れる夜でもあった。
そしてそれは、
失ったというより、母と息子の形が次の季節へ移り変わっていく痛みだった。
会えなかった時間。
知らされなかったこと。
母として置いていかれたように感じた夜。
そこにはたしかに、
ひとつの時代の終わりがあった。
でも、物語はそこで終わらなかった。
止まったように見えた時間も、
遠回りしたように見えた家族の流れも、
どこかでは静かに回り続けていたのだと思う。
息子は息子の人生を生きていた。
その先で出会った人がいた。
家族になった人がいた。
そして今度は、
嫁ちゃんが小さな星を抱くようにして、
菜々の前に現れてくれた。
それは、お正月の二日だった。
息子夫婦が、
ホテルも新幹線の切符も取ってくれていた。
そのことだけでも、
菜々にとってはまだ少し不思議だった。
当日は、夜ごはんでの合流だった。
そこで初めて会った嫁ちゃんは、
小柄で、清楚で、
どこか控えめなやさしさをまとった女の子だった。
「初めまして」
その言葉と、
ジャンパーの下にそっと隠れていたお腹を見せてくれた瞬間は、
たぶんほとんど同時だったと思う。
息子と嫁ちゃんは、
落ち着いた同じ色味のリュックを背負って、
二人で可愛く手をつないでいた。
その並び方が、
なんだかもうちゃんと“家族”の形をしていて、
菜々はそれを見た瞬間、
胸の奥で長いあいだ凍らせていたものが、
音もなくほどけていくのを感じた。
うれしい、という一言だけでは足りなかった。
安心した、でも足りなかった。
もう、逢えただけでよかった。
そこに息子がいて、
嫁ちゃんがいて、
まだ小さな命の気配がそのあいだにあって、
その光景の中に自分が入れている。
そのことだけで、
菜々の中では十分すぎるほどの幸せだった。
まだその星には名前がなかった。
でももうすでに、
あたらしい命の気配だけは、
静かにこちらへ届きはじめていた。
その夜、
息子夫婦と別れてホテルの部屋へ戻ったあと、
窓の正面には、
スカイツリーの灯りが静かに立っていた。
あとから知ったことだけれど、
その部屋は、
息子夫婦がわざわざ
スカイツリーがよく見える部屋を取ってくれていたのだった。
昼間はただ、
会えることのほうが大きすぎて、
胸の中はずっとふわふわしていた。
でも一人きりの部屋に戻って、
窓の向こうのスカイツリーを見上げたとき、
菜々はようやく
「あぁ、本当にここまで来たんだ」と思った。
息子がいて、
嫁ちゃんがいて、
まだ生まれる前のお孫ちゃんの気配があって、
その全部のあとに、
窓の向こうでスカイツリーが静かに光っている。
その灯りは、
菜々にとっては
遠くまで来た命の灯台みたいに見えた。
⸺
やがてその星は、
太陽の朝に生まれてきた。
お空から来てくれた小さな命。
まだ何も語らないのに、
もうそこにいるだけで、
世界の空気を少し変えてしまうような存在。
菜々はその子に会いに行った。
そして、抱っこした。
おひさまみたいにふんわりあたたかい命を、
そっと腕の中に抱いた。
母として戻れなかった場所に、
おばあちゃんとして、
もう一度呼ばれるみたいに。
そのぬくもりは、
昔の痛みをなかったことにはしなかった。
でも、痛みだけが真実ではなかったと、
小さな体そのものが教えてくれた。
息子は、母を振り返らず自分の人生へ進んでいった。
それはたしかに、そうだった。
でもその先で生まれた命が、
今度は菜々を
「おばあちゃん」として
もう一度、家族の輪へ招き入れてくれた。
⸺
世界のカードが、
その光景を見つめながら静かに言う。
「失ったものがそのまま返ってきたわけじゃないんだね。」
ランプがやわらかく灯る。
「ええ。
でも、命の流れは止まっていなかったのです。」
星のカードが小さく笑う。
「もっとやさしい形で、
朝のほうから迎えに来てくれたんだね。」
ランプは、
その言葉に静かにうなずいた。
「そうです。
だからこれは、
悲しみの訂正ではなく、
命の続きの物語なんです。」
⸺
菜々は、
おばあちゃんになる朝を迎えた。
母として抱えてきた痛みの全部が消えたわけではない。
それでも、
その朝にはたしかに、
ひとつの復活のラッパが鳴っていた。
昔の場所へ戻るのではなく、
新しい呼び名で、
新しい席へ座るためのラッパ。
それはきっと、
これまで通ってきた塔も、月も、
無駄ではなかったと告げる音だったのだと思う。
失ったものがそのまま戻るのでは無く、命はこうして、もっとやさしい呼び名で続いていくのだろう。
菜々



