占い師の開運ブログ
- スピリチュアル編
その夜の休憩室は、いつもより少しだけ、しん……としていた。
ソード6の渡し舟は、さっき最後のひと組を向こう岸に降ろして、
今はテーブルの上で静かに舟の模型を休ませている。
ワンド4の小さなアーチは、入口の少し手前に立ったまま、
「おかえり」と「はじめまして」の文字を、
今夜も変わらず見守っていた。
ここから先の部屋たちへ続く、一番最初の扉として。
塔は、雷仕事の疲れがようやく抜けてきたのか、
ソファの上で腕を組み、目を閉じている。
ソード3は、包帯を巻き直す手を止めて、
ランプの火をぼんやりと眺めていた。
隅のテーブルでは、隠者のランプが、静かに灯りを揺らしている。
星は窓辺に立ち、
「向こう岸」に並ぶ小さな家々の灯りを、遠くから見つめていた。
──そのときだった。
休憩室の床の、一番真ん中あたり。
そこに、ふわりと柔らかい光の輪がひとつ、広がった。
「……あ、始まった。」
星が、少しだけ表情をゆるめる。
光の輪は、ゆっくりと形を変え、
丸い中庭のような場所をつくり出した。
石畳の真ん中には、小さな噴水。
その縁には、6つのカップがぐるりと並んでいる。
そのひとつひとつから、
小さな花や、ビー玉や、
色あせたリボンや、木の葉っぱが顔をのぞかせていた。
中庭の入口に、
カップ6が、そっと立つ。
「今夜は、ここを開けておこうと思って。」
カップ6は、少し照れたように笑った。
「引っ越しの前に、“心の荷物”を見直す場所。
昔の自分と、今の自分が、
同じベンチに並んで座るための、中庭だよ。」
愚者が、リュックを抱えたまま顔を出す。
「……ここ、なんか、懐かしい匂いがする。」
カップ6はうなずいた。
「そう。ここは“懐かしさ”の部屋だからね。」
⸻
中庭の入り口に、ひとつの影が現れる。
引っ越し用の段ボールをいくつも抱えて、
肩に少しだけ、疲れを乗せた背中。
ポケットの中には、新しい部屋の鍵。
「……ここって、
“いい思い出”だけを持ってきたほうがいいところ?」
カップ6は首をかしげて笑う。
「ううん。
ここは、“いい思い出だけに塗り替える場所”じゃないよ。」
「ここはね、
たくさんある記憶の中から——
『この瞬間は、たしかに自分を支えてくれたな』
『あのとき、ちゃんと笑っていた時間もあったな』
そんな“小さな断片”だけを、
もう一度そっと拾いなおす場所。」
カップのひとつが、
ぽん、と小さく光った。
⸻
影は、おそるおそるカップの前に座る。
「子どものころのことを思い出そうとすると、
どうしても、胸がぎゅっとする所ばっかり目立ってしまって。」
「アルバムを開けると、
楽しいページの手前に、ちょっと苦いページが挟まってる、
みたいな感じで……。」
カップ6は、静かに耳を傾ける。
「うん。その感じ、よく分かるよ。」
「だからここではね、
“全部を許す”とか、
“全部を美しい思い出に変える”必要はないんだ。」
カップの内側で、小さなビー玉がころん、と転がる。
「たとえば——
あのとき、誰かが何気なく入れてくれたお茶の湯気だけ。
夏の夕方、一瞬だけ風が通って涼しかったベランダの匂いだけ。
学校帰りに寄った駄菓子屋の、10円ガムの包み紙だけ。
同じクラスの誰かの横顔を、理由もなく目で追っていた、
あの“ちいさな初恋”のドキドキだけ。
「状況そのものは、いろいろあったとしても。
その中に、たしかにあった“ひと呼吸ぶんのやさしさ”を、
ここで、小さなかけらとして拾い上げるんだ。」
⸻
隠者が、ランプを持って中庭の外縁に立つ。
「ここに来る前、
ずっと“思い出したらつらいから”と、
心のアルバムを閉じたままにしている人を
何人も見てきました。」
星も、噴水のあたりまで歩いていく。
「夜空から見ているとね、
つらかった場所と、あたたかかった場所が、
本当は同じ地図の上に並んでいることも多いんです。」
影は、そっと目を閉じる。
子どものころの部屋。
古びたこたつ。
誰かの気配。
ひとりで読んでいた漫画のページ。
こっそり食べたアイスの味。
名前も呼べなかった初恋の人が、
一度だけ笑いかけてくれた瞬間。
「……ぜんぶ、完璧な家庭だったわけじゃないけど。」
「たしかにあのとき、
笑っていた夕方もあったな。」
⸻
6つのカップが、静かに揺れる。
ひとつは、「あの頃の自分が好きだった遊び」。
ひとつは、「安心していた匂い」。
ひとつは、「誰かにかけてもらった、たった一言のやさしい言葉」。
ひとつは、「誰も見てくれていなかったけれど、自分ががんばっていた姿」。
そしてひとつには、
誰にも言わなかったちいさな初恋の、とくん、とくんという鼓動。
どのカップにも、
完璧ではない世界の中で、
それでもちゃんと灯っていた、小さな灯りが入っていく。
カップ6は言う。
「ここで大事なのは、
“何を許すか”よりも、
“これからの自分のポケットに、
どんな記憶を入れておきたいか”なんだ。」
「新しい部屋でしんどくなったときに、
そっと取り出して
『たしかにこんな時間もあったな』って思える種を、
いくつかだけ、選んでいくイメージ。」
⸻
影がふとつぶやく。
「ねぇ。
『こんな家で育ってよかった』って、
ポジティブ変換までしなきゃダメ?」
カップ6は、はっきりと首を横に振った。
「いらない、いらない。」
「ここは、“無理に感謝する”ための場所じゃないよ。」
「『あれはあれで大変だった』っていう実感も、
ちゃんと持ったままでいい。」
「その上で、
“それでも、あの風だけは好きだったな”とか、
“あの時見た空の色は、今でも覚えてるな”とか。」
「そんなふうに、
自分の中から“やさしかった瞬間”だけを
少し取り分けてあげること。」
隠者が、ランプを少し持ち上げた。
「それは、
誰かのためにきれいに見せるための思い出ではなくて。」
「これからの自分の心を、
ふとしたときに支えてくれる“ひと口ぶんのスープ”みたいなものかもしれませんね。」
⸻
人間たちの世界では今日も、
どこかで、段ボールだらけの部屋の真ん中で、
アルバムや思い出の箱を前に、
手が止まってしまう人がいる。
「これは、もう見たくない」
「でも、全部捨ててしまうのも、なんだか違う」
そんなふうに迷いながら、
ページを閉じたり開いたりしている心。
もし今、
昔のことを思い出すときに、
しんどさのほうばかりが先に立ってしまう人がいたら——
その人の内側では、
カップ6の小さな中庭が、
そっと灯りをともして待っているのかもしれません。
タロットのカップ6は、
「過去に戻って仲直りしなさい」という義務のカードではなく、
「アルバムの中から、
これからの自分をそっと支えてくれる一枚を、
何枚か選び直してみませんか」
と、静かに誘ってくれるカードなのかもしれません。
今日もどこかで、
自分の過去を“全部黒”か“全部白”かで決めつけずに、
その中にあった小さな色を拾い直す人が増えますように。
そしていつか、
ソード6の舟を降り、
ワンド4の小さな門をくぐったその先で——
カップ6の中庭で選び直した“やさしい記憶”たちが、
新しい部屋のカーテンやマグカップや、
これから出会う誰かとの会話の中で、
ふと、あの頃のちいさな初恋の胸さわぎを思い出させてくれるような、
ささやかな灯りとなってくれますように。
菜々



