占い師の開運ブログ
- スピリチュアル編
その夜の休憩室は、いつもより少しだけ静かだった。
塔は、雷の仕事を終えてぐったりした顔でソファに沈み、
愚者は、背負ったリュックを抱きしめたまま、うとうとと舟をこいでいる。
角のテーブルでは、隠者のランプが小さな灯りを変わらず揺らしていた。
星は窓のそばに立ち、夜の空と、遠くに見える水面を交互に眺めている。
そのとき——。
「今夜は、ここを使ってもいいかな」
静かな声とともに、ソード6が休憩室に入ってきた。
いつもはカードの中で舟を漕いでいる彼が、その夜は、テーブルの上に小さな木の舟の模型を置く。
舟の真ん中には、6本のソードが立てられていた。
よく見ると、舟の底には小さな穴が空いていて、その上に、ちょうど剣の刃が差し込まれるように立っている。
水が滲んだ跡が、かすかに残っていた。
——星が、興味深そうに近づいてくる。
「渡し舟の人が、テーブルに座るのは珍しいですね」
ソード6は、少しだけ笑った。
「今夜は、川を渡るのをいったん止めて、
“これから渡る人たち”のための地図を描こうと思って」
隠者が、ランプを持ってテーブルにやってくる。
「ちょうどよかった。
ここしばらく、ランプのそばに
“渡るのがこわい心”がよく集まっていたところです」
ソード6は、舟の模型を指先でくるりと回した。
「この舟に乗ってくる人たちも、だいたい同じことを言いますよ。
“もうここには居られないのは分かっているけど、
本当に向こう岸へ行ってしまっていいんでしょうか”——と」
——愚者が、半分眠った顔のまま、片手を挙げた。
「ねぇ、その舟ってさ。
“新しいスタートを決めるカード”じゃないの?」
ソード6は首を横に振る。
「いいえ。
“決めるカード”は、もっと前に出ています。
このカードの仕事はね、
“もう決めてしまったあと”の区間を、静かに運ぶことなんです」
星が問いかける。
「“決めてしまったあと”……?」
「うん」
ソード6は、舟の中に立てられた剣を一本、そっと撫でた。
「仕事を辞めると決めた人。
家を変えると決めた人。
あの人から離れると、心のどこかで決めた人。
決めたあとの身体と心は、
すぐに同じスピードでは動けません」
ソード6は、舟の底の穴に目を落とす。
「決めたあとも、しばらくは水がしみ込んできます。
“本当にこれで良かったのか”という不安や、
“あの頃の自分を裏切ってしまった気がする”という痛みがね。
その穴を、そのままにしておくと、舟はじわじわ沈んでしまう」
隠者が、ランプの灯りを少し強くした。
「だからこそ、その穴をふさいでいるのが——
その人がこれまで握ってきた剣、ということですね」
ソード6は小さくうなずいた。
「ええ。
この6本の剣は、ただの荷物じゃない。
昔、心に刺さったままだった痛みや、
もう二度と同じ場所には戻りたくないと決めた記憶。
本当なら舟の外に投げ捨てたいものばかりだけど、
それをうまく差し込んで、
“舟底の穴をふさぐ板”に変えていくんです。
そうすると、この舟は沈まずに、
大人と子どもを、そっと向こう岸まで運べる」
星が、モデルの舟の上を覗き込む。
「大人と子ども?」
ソード6は、少し照れたように笑った。
「カードの絵をよく見るとね、
大きな影と、小さな影が並んで座っているでしょう。
あれは、ときどき“親子”なんです。
ときどきは、今の自分と、
胸の奥にいる“昔の自分”の組み合わせでもあるけれど」
ワンド4が、アーチの下から顔を出した。
「じゃあ、あの舟は——
“親子を古い岸から逃すための渡し舟”でもあるんだね」
ソード6は、真面目な顔でうなずいた。
「うん。
傷つきながらここまで生きてきた大人と、
その背中の中にずっと座っていた子どもを、
同じ舟に乗せて、そっと向こう岸へ運ぶ。
6本の剣は、
その親子がここまで生き延びてきた証でもあるんです」
——隠者が、ランプの灯りをさらに整える。
「決める前は、だいたい私のところに来ますね。
『本当はどうしたいのか分からない』と
ランプの前で座り込んで、
自分の気持ちをひとつずつ照らし直す」
星もうなずいた。
「決めたあとに、
『この先、本当にやっていけるかな』と
夜空を見上げる人のところへは、
私がよく呼ばれます」
ソード6は、ふたりの顔を順番に見てから、ぽつりと言った。
「そして、おふたりのあいだにある“川”を渡すのが、
ぼくの役目です」
——星が、小さく笑いながら舟を覗き込む。
「この舟、ずいぶん荷物が少ないですね」
「そうしないと、沈んでしまいますから」
ソード6はさらりと言う。
「本当は、もっとたくさん持っていきたがる人も多いですよ。
“あの頃の自分の役割”
“期待に応えようとした自分”
“本当はイヤだったのに我慢した言葉たち”
でも、全部持って乗ろうとすると、
舟が動けなくなってしまう」
そこで、隅の椅子に座っていた死神が、静かに口を開いた。
「そういう荷物は、私が預かる」
ソード6は、死神のほうを振り返る。
「そう。
“ここから先には、もう持っていかなくていい剣”は、
死神さんが回収してくれる。
舟に立てていくのは——」
6本のソードの柄を、ひとつひとつ指で示していく。
「もう繰り返したくないと分かった痛みから学んだこと。
あの場所で身につけた、最低限の生活技術。
『本当はこう思っていた』と、やっと認めた気持ち。
つまり、“これからの自分と、その内側の子どものためにだけ残したいもの”です」
——愚者が、少しだけ真面目な顔になる。
「ねぇ。
舟に乗るときってさ、やっぱり後ろを見ちゃう?」
ソード6は、ゆっくりとうなずいた。
「見ますね。何度も。
『やっぱり戻ったほうが楽かな』って思う夜もあります。
でも、ひとつだけ決めてもらうことがあるんです」
星が、続きを促すように視線を向ける。
ソード6は、穏やかな声で言った。
「——“舟を戻さないこと”だけは、決めてください、って。
ここは、“誰かに連れて来られた被害者”の避難船ではありません。
自分で『ここを離れる』と決めた人だけが、
自分の責任で乗る舟なんです」
——隠者が、ランプを軽く揺らした。
「向こう岸に着いても、
すぐに“新しい自分”になれるわけではありませんからね」
「ええ」
ソード6は続ける。
「着いた岸で、しばらくは落ち着かないでしょう。
前の場所が恋しくなる夜もある。
でも、そのときに舟を戻してしまうと、
決めたことも、そこで手放した剣も、
全部なかったことに見えてしまう。
そうすると、また同じ川を、何度も何度も渡ることになる」
星が、静かに言葉を添える。
「だからこそ、“戻らない”と決めるだけでいいんですね。
“完璧に前を向く”までは、急がなくても大丈夫だから」
ソード6が、もう一言だけ付け加える。
「その代わり——
向こう岸に着いた自分が、
“最初の一歩で何をするか”だけは、
小さく決めておいてほしいんです。
カーテンを開けるでも、
近くのコンビニまで歩いてみるでも、
新しい住所を書き込むでもいい。
今の自分と、一緒に乗ってきた“内側の子ども”のために、
自分で決めた一歩を踏み出した瞬間に、
この舟の仕事は、本当に終わるから」
——人間たちの世界では今日も、
どこかで荷造りをしながら、ふと手を止めてしまう人がいる。
「こんなに捨ててしまって、本当に大丈夫かな」
「向こうで、ちゃんとやっていけるかな」
そう思いながらも、
もう元いた場所では心が擦り切れてしまうと、どこかで分かっている夜。
もし今、
“決めたあとを生きている最中”のような気がしている人がいたら——
その人はもしかしたら、
ソードの6の舟に乗って、静かに川の途中を渡っているところかもしれません。
決まったあとの不安や、
新しい岸に着く前の「宙ぶらりん」は、
本来、このカードの担当区間です。
その時間を、
「まだ揺れていて当たり前なんだ」と、少しだけ許してあげながらも——
向こう岸に着いた自分が、
「私はここから、この一歩を選びなおす」と小さく決めることができますように。
そしてその一歩が、
あなた自身と、あなたの胸の中で小さく座っている“昔のあなた”を、
いっしょに前へ連れていく一歩でありますように。
今日もどこかで、
舟を戻さない勇気を胸のどこかに抱えながら、
自分と、自分の内側の子ども(あるいは本当の子ども)を乗せて、
古い岸から新しい岸へ向かう人たちに、
静かなソード6の渡し舟が、そっと寄り添ってくれますように。
菜々



