占い師の開運ブログ
- スピリチュアル編
その夜、休憩室の空気は、いつもより少しだけ重かった。
塔が、いつもの隅の席で、飲みかけのコーヒーを両手で抱えている。
さっきの鑑定で、またひとつ大きな「崩壊」に立ち会ったばかりだった。
「全部、終わったと思っているんだろうな」
塔がぽつりとつぶやく。近くの席でハートを撫でていたソード3が、静かにうなずいた。
「見えるものは、ほとんど、終わりましたからね」
部屋の奥では、隠者のランプがゆっくりと揺れている。
その隣には、星のカード。八芒星は、今夜も変わらず柔らかい光を放っていた。
「先生、今日の方は……」
星が、小さな声で隠者に話しかける。
「全部、燃えてしまったと思っているでしょうね」
隠者はそう言って、ランプの火をひとつ、指先で整えた。
「失恋という意味での焼け野原でもあったけれど、
あれは、もっと深いところまで焼けていましたから」
ソード3が、少しだけ目を伏せる。
「家族から否定され続けてきた心。
何度も“信じた相手”に裏切られてきた履歴。
全部が一緒に燃え上がっていた感じがしました」
塔はカップをテーブルに置き、覗き込むようにランプの灯りを見つめる。
「焼け野原のあとに、何が残るんだろうな」
「燃えなかったものが、残ります」
隠者は、当たり前のことを言うように答えた。
そのときだった。
休憩室のドアの向こう、いつもなら人間たちの気配が届かない時間帯に、ふっと、別の灯りの気配が入り込んでくる。
「……誰かいる?」
愚者がソファから顔を出す。
その視線の先で、小さな炎がひとつ、スッと揺れた。
カードでも、人でもない。
名前のついていない、ただの「火」。
塔が、驚いたように立ち上がる。
「お前は、まだ消えてなかったのか」
火は答えない。ただ、そこにいるだけだ。
星がそっと近づき、隠者を振り返る。
「先生、この火は……?」
「ずっと昔から、人間たちの世界で燃え続けている灯りですよ」
隠者は、ランプを少し持ち上げた。
「大きな戦争のあとも。
街が焼けて、何もかも失われたと思われたあとも。
それでも消えなかった火が、世界には、いくつかあるのです」
塔が火の前にしゃがみ込む。
「ぜんぶ壊したつもりでも、
お前だけは、どうしても消せなかったんだな」
火は、少しだけ揺れて、塔の言葉を受け取ったように見えた。
「先生、この火と、先生のランプの中の灯りは、違うものなんですか?」
星がたずねる。
「根っこは、同じものですよ」
隠者は、ランプのガラス越しに火を見つめる。
「塔で焼け野原になったあと、
“もう何も残っていない”と人間たちが思い込んでしまうとき。
それでも、本当は燃え残っているものがある。
それが、この『消えずの灯』です」
ソード3が、少しだけ顔を上げた。
「悲しみも、怒りも焼けてしまったあとに、
それでも、“誰かを想う気持ち”だけは、
なぜか残ってしまうことがあります」
「ええ」
隠者はうなずく。
「それは時に、とても残酷にも感じられる。
『もう楽になりたいのに』って、人間たちは言いますからね。
でも、その『消えずの灯』があるからこそ、
麦の芽みたいに、もう一度、命が地面を押し上げてくる」
星は、その火と自分の八芒星を見比べた。
「じゃあ、私の星は――」
「この火から、ほんのひとかけらだけを分けてもらって、
夜空に掲げ直したものです」
隠者の声は、いつもより少しだけ低かった。
「占い師たちは、ときどき、その“分け火”を手伝います。
相談者の胸の中で細々と燃えている『消えずの灯』を見つけて、
そっと、カードの世界につないであげるんです」
塔が、静かに笑った。
「つまり俺は、全部壊す役じゃないわけだ」
「ええ」
隠者は塔のほうを見た。
「あなたは、『もう元の形には戻れない』ことを知らせる役。
でも、『二度と何も芽生えない』とまでは、言っていません」
火が、その言葉に呼応するように、少しだけ明るくなった。
その夜の休憩室では、ふたつの灯りが、しばらく向かい合っていた。
ひとつは、隠者のランプの中で揺れる、小さな八芒星。
もうひとつは、世界のどこかで、何百年も消えずに燃え続けている「消えずの灯」。
星は、自分のカードの上で輝く八芒星にそっと手を重ねる。
「先生、この火は、人間たちの世界で言うと……
“もう一度信じてみたい”っていう気持ちに近いんでしょうか」
「そうかもしれませんね」
隠者は答える。
「相手を、というより、
“それでも生きてみようとする自分”を、
もう一度信じてみる気持ち、と言ってもいいかもしれません」
塔が、ふっと息を吐いた。
「じゃあ俺が壊したものの中から、
また何かが芽を出したとき。
それはきっと、この火がまだ消えてなかったってことなんだな」
「そうでしょうね」
隠者は、ランプの火を少しだけ弱めた。
「消えずの灯は、派手に燃え上がる必要はありません。
ただ、『完全な暗闇にはならなかった』という事実を、
世界のどこかで証明していればいい」
星は、火のほうを見て、静かに微笑む。
「人間たちが、『もう何も信じない』と口では言いながら、
それでも占いの扉を叩きに来るとき。
心のどこかに、この火が残っているからなんですね」
隠者は、少しだけ目を細めた。
「ええ。
その火を見つけて、隠者のランプに移して、
やがて星の八芒星として空に返す。
タロットの休憩室は、いつも、そのリレーの途中にあります」
人間たちの世界では、
今日もどこかの街で、ひとつの関係が終わり、
ひとつの仕事が幕を閉じ、
ひとつの人生の章が塔のように崩れていく。
それでも、全てが真っ暗になってしまうわけではない。
誰かの胸の内側で、
隠者のランプに預けられた八芒星が、細々と息をしている。
誰かの遠い記憶の中で、消えずに燃え続ける「火」が、まだ消えないでいてくれる。
今日もどこかで、
「もう何も信じない」とつぶやいたあと、
ふっと占いの扉を叩きに来る人がいる。
その人の胸の奥に残っている、その小さな火が、どうか静かに守られますように。
そしていつか、塔の瓦礫の上から顔を出す麦の芽のように、
もう一度だけ、世界を信じてみようとする心に、
タロットの休憩室から、そっと分け火が届きますように。
菜々



